毎夜、寝室に聞こえてくるスズ虫の鳴き声が耳に心地よく、
ますます寝る時間が楽しみになっている(笑)今日この頃、
みなさんは、いかがお過ごしでしょうか☆
ベトナムでの3年半の仕事の任期を終えた実妹が帰国し、
我が家に滞在して2週間弱。
毎日の家事・育児がビックリするくらいスムーズで、
今週末に実家の佐賀に戻ってしまうのが本当に悔やまれます(笑)
キッチンの狭いスペースでも、特に声掛けがなくても「阿吽の呼吸」で
お互いが今、必要な動きと連携が自然ととれていくから不思議。
でも実は、この感覚は、
毎年開催している「八ヶ岳リトリート」でも感じている感覚でもあります。
10人以上の参加者の皆さまが居る中で、
食事前後の準備の動きも含め、滞在中の生活の導線すべてが、
まるで打ち合わせをしていたかのようにスムーズに進み、
連携作業が自然と醸成されていく実感を毎回感じています。
そして、その連携や一体感が醸成していくほどに、
そう、まるでアメーバのような有機体となっていくイメージで、
全体で一つの生き物になったかのような・・・
不思議な感覚を感じる瞬間がリトリートではたくさんあるのです。
でもおそらく、私たち日本人にとってこの「一体感」は、
DNAレベルで慣れ親しんできた感覚なのでは?
とも思います。
その中でも特に女性は、
本来ずっと、このような「一体感」を共有しながら、
大家族単位、村単位のコミュニティの中で、
お互いに自然と連携を取り合い、
家事も育児も助け合う文化があったはずなのです。
しかし、現代社会は核家族化も進み、
地域との連携も薄れてきて、
家事も育児も介護も仕事も・・・
すべて女性一人で担わないといけないような、
女性一人にのしかかる負担が格段に増えていて、
どう考えても構造的にもおかしい社会に
なってしまっているのではないでしょうか?
私は、「言霊学」や「日本の本当の歴史」も
個人的にとても興味があって探求しているのですが、
日本の縄文時代は、少なくとも1万年以上の長い時間を、
争いもなく、精神性も豊かに、平和に暮らしていたことが
遺跡の発掘が進み、現代では、証明されています。
縄文時代の発掘された人骨には、
争って亡くなった形跡がほとんど皆無だとか。
私はそれを知った時に、
リトリートの時に感じる参加者の皆さまと
まるでアメーバのような「一つの有機体」となった一体感を思い出せば、
とても納得がいきました。
その時には「完全な他者」と言うものは存在せず、
自分が自分がと言う「強固な自我」も存在せず・・・
そんな風に、
縄文時代の大人も子供も、コミュニティ全体で
「一つの有機体」として日々の営みを送っていたとしたら、
争いなどとは無縁であっただろうなと想像できるのです。
そしてその平和で精神性豊かな時代は、
少なくとも1万年以上も続いていました。
また「ダンバー数」と言う言葉を聞いたことはありますでしょうか?
これは、イギリスの人類学者ロビン・ダンバーが提唱した理論で、
人がスムーズかつ安定的に関係を維持することができる人数は
大脳のつくりから言っても「150人程度」である、と言う説です。
だからこそ、縄文時代の村(コミュニティ)は、
多くても大体150人程度までで暮らしていたとも言われています。
以前の通信でも共有させて頂いた通り、
私のライフビジョンとして『花結村』と言うコミュニティを
いずれつくっていきたい、と言う想いがあるのですが、
(デザイナーの川島彩さんに描いて頂いた
素敵なビジョン図もぜひ、ご覧ください♪)その『花結村』のイメージは
多くても大体150人前後とイメージしているのは、
この「ダンバー数」が所以だったりもします。
でもそれは決して閉鎖的な考えで言っているのではなく、
そんな風に150人前後の平和なコミュニティが
周りにもたくさんある、と言う想定なのです☆
そして、
コミュニティ同士でも横の連携を取り合い、
分け合い、助け合いながら平和に暮らしているイメージです。
そう、きっと、日本の縄文時代もそんな風に、
平和で精神性豊かな暮らしを送っていたように。
私は、18年前にカリフォルニアの「エサレン・インスティチュート」
に訪れた際に『ここは楽園だ!!』とすごく衝撃を受け感動しました。
そして、『日本にも、こんな場所があったら良いのに』と思ったことが、
現在の『花結村』のライフビジョンにもつながっています。
まだ、『村』には至っていませんが、
私たち定期的に、その感覚を共有できるリトリートを開催しています。
ただ、寝食を共にするようなリトリートは、
色んな形で、色んな場所で行われていると思いますが、
そのすべてで、私たちが感じているような「一体感」が
生まれているとは限らないのでは?と思います。
本来であれば、長い時間をかけて醸成していくはずの
「まるで一つの有機体のような一体感」、
それが、たった数日のリトリートで育まれるのは、
私たちのプログラムには、
必ず『ふれあう』時間が含まれているからです。
私たちが大切にしている「あり方とふれ方」と共に、
特に全身のアロマボディワークの中で、
存在そのもので『ふれる』ことを深めていくと、
もう途中からは、
『ふれて』いるのか?
『ふれられて』いるのか?
その境界線があいまいになって、
最後には、
『ふれあっている』と言う境地に自然といたっていきます。
この『ふれあっている』感覚に包まれている時間、
そこには「完全な他者」と言うものは存在せず、
自分が自分がと言う「強固な自我」も存在せず・・・
そうまるで、自分自身と目の前の人が、
一つの有機体になったような感覚に包まれていくのです。
だからこそ、縄文時代の人たちは、
私たちが『ふれあう喜び』と表現している感覚や時間を、
おそらく、暮らしの中で、生命活動の中で、
ずっとずっと体感しながら生きていたのでは?と思うと、
1万年以上も平和で精神性豊かな時代が続いたことも
心から納得がいきます。
そして、私たちも本来は、
そんな平和で心豊かな生活を送れるはずなのです。
まだまだ、現代社会のシステムの中にいると
それが難しく感じる場面が、生活の中でも多々ありますが、
私たちが理想やビジョンを諦めることは決してありません。
なぜならば、すでに私たちはその平和で豊かな感覚を
潜在意識やDNAレベルで『知っている』からです。
だから必ず、実現していけると、
私は心から信じていますし、
そのための歩みを止めることもありません。
ぜひ、みなさんとも、
平和で心豊かな世界を一緒につくっていけたら嬉しいです^^
・・・なんだか最後は、
決意表名のようになってしまいましたね(笑)
さてさて!
『花結村』ライフビジョン実現への一歩を今日も進めるべく、
本日は、月に1回通っている雑穀栽培セミナーを受講しに、
有機農法の里、埼玉県・小川町に家族で行って参ります☆
先月は収穫を行ったので、
今回はいよいよ、脱穀作業に入ります♪
その模様は、次回の通信でお届け致しますね^^
また、
明日の夜は、毎週恒例の「オンライン実践会」!
ぜひ、心身のクリアリングタイムとしてご活用ください。
それでは、今回も最後までお読み頂き、
ありがとうございました♡
みなさんも引き続き、
平和で心豊かな日々をお過ごしくださいね\(^o^)/